ブログユニコーン🦄

雑文と音楽と雑文です

旅の記憶①

 なぜか連休をもらったので高校時代を過ごした帯広や、10年ほど住んでいた幕別町にふらっと散歩しに行ってきた。十勝にはそろそろ遊びに行きたいな~とはもともと思っていた。帯広は大学1年生の時に一泊二日で遊びに行ったことはあるが、もう5年以上前のことだし、幕別にいたってはこっちに引っ越してからは一度も行っていなかった。実家ごとこっちの方へ引っ越したので十勝に帰る場所がないのだ。

 

 南千歳から高速バスのミルキーライナーに乗車。ミルキーライナーは十勝にいるときからよく利用していた。高速バスに乗るのは結構好きだ。景色を見ながらぼーっと音楽を聴くのが至福の時。なんだけど、今回は細野晴臣さんの雑談インタビュー本『とまっていた時計がまたうごきはじめた』を読んでいたのであんまりぼーっとした感じではなかったな。安くなっていた時に買ったんだけどちょこっとだけ読んで放置していたのでこれで積読1つ解消!

 

 

 トンネルを抜けて明らかに「十勝だな」と分かる景色が広がった瞬間、なんか涙が出てきた。空と山と防風林(防雪林?)があるだけなのに懐かしさでいっぱいになった。10年くらいしか住んでいないけれど自分にとって十勝が故郷なんだなと感じた。否応なく体が反応してるんだから。

 思春期特有の死にたさの中で必死に生きようと、コントロールしきれない精神のバイオリズムに翻弄されながらどん底から這い上がろうと星野源の「知らない」を聴いていた高校2年生の冬をふと思い出す。高校生活で自分にとって象徴的な時期だったから思い出したのだろう。

 あの時から想像できないようなことが、良いことも悪いこともいっぱいあった。十勝を離れてから出会った人たちやもう会えなくなった人たちに思いを馳せる。Spotifyのライブラリやスマホに入れている音楽も改めて見ると大学生になってから知った音楽で埋め尽くされている。高校生の頃には予想できなかったような世界を生きているな。それにしてもまさかこの歳になって定職に就いていないとは思っていなかった。どうだ高校生の自分!びっくりしただろう!

 

 2時間ちょっとバスに揺られて帯広駅前で下車。駅前の雰囲気が全然変わってなくておもしろくなる。ノスタルジーで頭がクラクラしたのは初めてだ。十勝が舞台だった朝ドラ「なつぞら」関連のポスターが目新しかったくらいか。あとバスターミナルの待合所は外壁の色が新しくなっていた(気がする)。

 駅に入りとりあえず、あんまり人が来ないので誰にも会いたくない時に籠ってゲームしたりしてた(本当はよくないよ!)帯広駅の防災センター前にある思い出のトイレ(個室)で用を足す。そのトイレ特有の謎の匂いが懐かしい。便所っぽい嫌な臭いではないんだけど、同じ匂いは他のトイレでは嗅げない。

 その後は駅に入っている100均で爪切りを購入。バスに乗る前から気が付いていたんだけど、足の爪を切り忘れていて右足の中指に歩くたびに軽い痛みと違和感がしていたのだ。これから歩きまくる予定だったのでなるはやで解決したかった。爪切りコーナーには種類がいくつかあったのでハイビスカスの模様が入ったものを選んだ。旅先で買う爪切りはハイビスカスに限る。使用感は「100均だな~~~」という感じだったけど心配事は解消できた。

 駅の100均はなんか系列が変わった気がするし、前より店舗面積は増えていた。高校生になって数日くらいの頃にけいおん!の4巻を買った小さい本屋は潰れていて、同じフロアの下着屋はおしゃれなカフェになっていた。写真屋さんは閉店準備の真っ最中だった。

 

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こんなところにもう戻りたくないよ~


 十勝は電車が1時間に1本しかないような悲しみの土地なので、時間まで駅に入っている「ぶたはげ」という豚丼のお店で腹を満たした。たまに家族で食事に来た思い出のお店だ。特に変わった様子もなく営業していて安心した。駅施設の短縮営業を知らせる看板は出ていたが。

 

 14:53発で幕別町へ向かう。さっきは「電車」と記したけど、この悲しみ土地には電車を走らせるための架線などないので、厳密なことを言うと電気で動いていない。多分ディーゼルエンジンで動いている。ので「汽車」という言い方をしたりしていた。だっせー。

 停まっていた汽車は青くて古臭い「昭和の終りごろに作られたんだろうな」みたいな固いシートのおなじみの車両と、最近作られたのであろう中身はやらしくレトロに再現してある緑色に塗装された目新しい車両の2両編成だった。新しい方は「なつぞら」の放送に合わせて導入されたのかな。詳しいことは軽くググっても分からなかった。平日の真昼間なこともあり、僕のほかに2人しか乗っていない。窓から見える懐かしい風景を見ながらぼーっとする。高校時代、最高な日も最悪な日もこの景色を見ていたのだ。

 

 幕別町に着く。降りたホームから反対側のホームへ歩道橋を渡っていると、ちょうどこの春休みの時期に高校へ部活に行き昼下がりに帰ってきた時のことを思い出す。駅に自動改札なんてないので駅員さんに切符を渡すのだが、毎日顔を見ていたおばさんの駅員さんがまだいた。駅前へ出ると、景色や空気や匂いが全然変わってなくて「ふざけんな!!」と思った。「オトナ帝国の逆襲」のひろしの気持ちがよく分かる。最近見返したので。

 

 以前住んでいたアパートを目指して通学路だった道を歩くが、「昨日もこの道を歩いていたし、これからアパートに帰るのだな」という心地にふわっとなる。まだやっている店、閉めてしまった店を確認する。踏切近くの横断歩道の横にあった、大きな日陰ができるほどの大木が切られていて驚いたけど、今思うと引っ越し当時すでに切られていたような気もする。もう確かなことは忘れてしまった!当時住んでいたアパートは外壁の色が変わっていたし、その前に住んでいた一軒家も色が変わっていた。塗り替えの時期なのかもしれない。

 図書館は閉館になっていて、そういえばコロナの影響なのか春休みシーズンの平日なのに子供を全然見ない。まあ大人ですらろくに見ないけど…。公園にも誰もいない。よく遊んでいた公園はアスレチックが撤去され、見たことのない遊具が設置されていた。砂場には柵がついてた。なんで?小中学校も1クラスになってしまった完全に過疎の町だが、もう少し子供がいたような気はする。看板で知ったことだが、地元にある高校も今年度で閉校になるようだ。いずれそうなることは分かってはいたけれどますます人が来なくなってしまうね。

 

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よく遊んだ公園


 町に来たのはなにも以前住んでいた家を見に来ただけではない。明野ヶ丘という丘の上にある公園に行きたかったのだ。友達の家の前を通りながら「家の前にママチャリが2台停まってるの変わってね~~~」とか思いながらだらだら歩く。公園は町の端にある一本道の坂を上った先にある。一泊とは言えど必要な荷物を詰めたリュックを背負っているのでだいぶ体にこたえる。中高生の頃だって、行って帰ってくればちゃんと疲れるくらいの距離はあるのだ。インドアな24歳フリーターには流石にきつい。帯広駅のロッカーに必要ない荷物を置いて来ればよかったと今書いてて気づく。

 

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坂をてくてく歩く 冬はスキー場になっているが、この時は多分開いていなかった

 

 中高生の時、嫌なことや思いつめたことがあると、この公園に来ていた。上の写真で若干確認できるが展望台のような場所(リフトの先にある茶色の建物)があってここから町を見下ろすのが好きだった。別にここに来たからといって気分が晴れやかになるわけでもないし、問題が解決するわけでもないのだが、自分にとって儀式みたいなものでことあるごとに来ていた。

 また細野さんの話になってしまうが著書『アンビエント・ドライヴァー』で、人は追い詰められると曼荼羅を描き始める、みたいなことを言っていた。具体的にどの部分で言っていたか覚えてなくて確認できてないんだけど、こういうニュアンスのことが書いてあったと思う。無職になると急に自然や宇宙のことについて調べたがる、みたいな話もインターネットで聞いたような気がするし、人はよりスケールの大きな世界があるのだと認識することで、問題や自分の視点を相対化し、自己を癒したがるんだろう。そして当時の僕にとって、住んでいる町を高い場所から眺めることが癒しに繋がっていたのではないかなーと考えている。そんな一人っきりの思い出の場所であるからここにどうしても来たかったのだ。別に今何か思いつめているわけではないんだけどね。あとちなみにだけど数年前に作った「晴嵐と心残り」という曲はここでの景色を思いながら作った。

 

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大した景色では全くないけどこれが見たかった

 

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 思ったことを細かく思い出して丁寧に書いてみようかなーとやってみたら案外長くなりそうなので今回はここでいったん終わり!Part 2へ続く。